道のり
文字通り物が積み重なり身動きが取れなかった数年前。ふとしたきっかけで「不要な物ばかり持っている」と気づいてからは、カテゴリーを問わずどんどん捨てました。(詳細は大和書房のnoteにて全文公開中の著書「はじめに」に掲載。) その頃の私が目指していたのは、必要なものだけが残っている状態でした。
数やサイズなどの枠に縛られず、適量にしたいという想いで物を選び取る作業を繰り返す日々。その過程で最も重要だったのは、何を必要と感じるかは人それぞれだと理解すること、そして自分の価値観をよく知る事でした。
衣服をファッションとして楽しむ人もいれば、自己表現としてアイデンティティの一部に感じる人もいて、また社会生活において必要な身だしなみと捉える人もいます。
悪い物はない
世の中は素晴らしい製品であふれています。でも優れた製品や高級品が自分にとっての必要な物かは別の話。 私はアートに関して理解や興味が薄いので、数億円のピカソの絵を手に入れても、失礼ながら私にとっては壁紙の一部に等しい物です。ピカソの絵それ自体の世間的な価値は高くても、私の生活においての価値はほぼゼロ。愛猫の写真のほうが「自分にとって」価値ある物です。
世間のモノサシと自分のモノサシの違いを理解して正しく使い分けることで、どんな物でも要不要を判断できるようになりました。捨てる事を迷う暇もなく「どうして欲しいと思ったんだろう?」と過去の自分を疑うほど、不要な物がはっきり見えるように*^ ^*
自分のモノサシが明確に見えるまでは、この自問自答を繰り返しました。 衣服を例にすると、私は流行を追いかけたい意欲は薄く、自分が着たい、着ていてしっくりくる服だけを持っている状態が落ち着きます。流行の形や色柄、着回しの優れたベーシックアイテム、他者からの見え方を気にした多彩なバリエーションは不要な物。
そんな自分のモノサシに従って、無難なボーダートップスや定番のデニムパンツ、好きでもないパステルカラーの春物ワンピースなどを1つ1つ捨てていきました。結果手元に残ったのは、毎日でも着たいと思える数着です♩
方程式を知る
今回は「物を減らし始めたきっかけと、どこから手をつけたか。」というご質問のお答えでした。方程式が分からないままでは答えが出ないように、まずは自分のモノサシ・価値観を理解するところが第一歩でした。そこからは「だわへし(井田典子さん)」や「ときめき(こんまりさん)」に助けられながら、1つ1つ向き合う作業です。こうやって振り返ると、「ときめき」という尺度はまさに十人十色・自分次第、すごく優れた判断基準だったのだと納得します。
もし自分が何を大切にしているのか分からない時は、自分の記憶に尋ねてみるのもいいかも知れません。
過去投稿▷記憶が知らせる、必要な物
私の経験が、心地よい住まいづくりの参考になれば幸いです。